活動レポート
手書き地図激戦県・長野の下諏訪でアースダイバーツアーしてきた!
2015年08月25日
以前、「なぜ長野県は手書き地図がアツいのか?」というエントリーで取り上げた、
長野・手書き地図最強県説。
個人的には登山で信州を訪れる機会がとても多く、
その度に現地で手書き地図を探しては持ち帰っているので、必然的に多くなるわけですが、
それにしたって、佐久の江村さん(公式絵地図作家)はじめ、
書き手のキャラクターが際立っているのは気のせいではない気がします。
(いい意味ですもちろん)
長野県は南北に広く、日本第4位の面積。
よく地域間の交流がないと耳にしますが、長野市を中心とした北部、松本市を中心とした中部、飯田市を中心とした南部があって、
土地の気質や文化、気候などがガラリと異なります。登山をするぼくにしてみれば、山の感じもまったく違います。
そんな中で異彩を放つのが、諏訪地方。
諏訪信仰だとか、縄文だとか、太古からの独自の営みと文化形成によるものなのか、なんなのか。
かの岡本太郎氏もハマった諏訪という土地には、きっとなにかあるに違いない。
東北出身の自分としても、縄文はすごくホットなキーワード。
そんなことをあれこれと考えながら、八月の苛烈な陽射しの“下諏訪”を訪れました。
指定されたカフェは、ノスタルジックな商店街の中に佇む「Cafe Tac」。
名物のガレットと黄金に輝くビールが場の空気を柔らかくしてくれて(一応仕事です)、
いきなりの縄文&諏訪信仰談義からスタート。
なかなか本題の手書き地図の話になりません(笑)
この談義の中心にいるのは、地元で「あるきニスト」として活動する降旗香代子さん。
「なぜ長野県は手書き地図がアツいのか?」の中で紹介した「しもすわ肉MAP」を手掛けた方で、
歩いては地図を描くという日々を送っている、まさにあるきニスト!
そして、その降旗さんが参画する縄文文化と諏訪信仰の研究会「スワニミズム」事務局長の石埜三千穂さん。
もうこの時点で濃すぎる!
降旗さんは“あるきニスト”としての活動と、地元での会社勤めの二足の草鞋で活動中。
とにかく出かかることが大好きで、山歩き・町歩きの記憶を手書き地図として残していたところ、
スワシュラン(諏訪エリアのファンブック)に書いてみないかとオファーが舞い込んだそう。
そうして世に出た最初の作品が「しもすわ肉MAP」なのだとか。
下諏訪にある“偏っているもの”に面白さを感じ、日々町歩きをしながら手帳に書き留めている降旗さん。
同じ長野は佐久の手書き地図「サクヨタバナシ(江村さん作)」を手に、嬉しそうに手書き地図愛を語ってくれました。
愛は全国共通ですね!
そうそう、「バランスよりカタヨリ」は、手書き地図推進委員会でも最重要キーワードのひとつ。
やっぱこのクラスタのみなさんは、同じところを見てるんだなー。
石埜さんは、スワニミズムでの活動と研究を中心に、下諏訪のディープなツアーを主催しています。
手書き地図推進委員会のおじさん4人はこの分野が大好物(笑)
それを察した石埜さん、とある地図を手に説明を始めました。
「武居の里 アースダイバーツアー」と題されたそれは、2014年5月のもの。
諏訪大社のうち下社秋宮を巡るディープなローカルツアー用の手書き地図で、これも降旗さんによるものです。
こうなれば、外の酷暑なんてなんのその!
真っ昼間のビールに足をふらつかせながら、
石埜さん・降旗さんのガイドで「アースダイバーツアー」に繰り出しました。
とは言ったものの、やっぱ暑いっすわー!(ごめんなさい)
住宅地をうねうね入ると突如現れる、ノスタルジックな共同浴場、菅野温泉(すげのおんせん)。
言うまでもなく、帰りはここで汗を流しました。
綿の湯かけ流し八カ所。諏訪明神御神湯とあります。
熱いです。誰もこれ以上近づこうとしません(酷暑につき)
青塚古墳です。ここすごいですねー。
あまりマニアックな話になるとアレなので、ここで詳細は書きませんが、
諏訪大社下社の大祝・金刺氏(最高の神官)のお墓かも?という説があるようです。
古墳は半分に削られていて、いまは真っ二つになって残っています。
古墳の上からは金刺氏の居城が見えます。
古代史、戦国好きとしては、このあたりは胸アツなスポットです。
旧中山道に構える「みなとや」は、かの岡本太郎氏が定宿としたそう(いつか泊まる)
旧甲州街道と旧中山道の合流地点。
往時の街道の様子が描かれていますが、このすぐそばには諏訪大社・下社秋宮があり、
ここは交通の要衝で、数多の商人旅人そして東西の文化が行き交ったんでしょうね。
諏訪大社・下社秋宮の拝殿です。
諏訪大社は4つの社(上社の本宮と前宮、下社の春宮と秋宮)を総称していて、ここはその中の一社。
御祭神は、タケミナカタノカミとその奥さんヤサカトメノカミ。
本来は「ミシャグシ」をはじめとする土着の神が祀られているとも言われていますが、そのあたりが石埜さんの研究分野。
話すととまらないので、ここまでにしておきます・・・(ほんとは書きたい)
秋宮を後にして、その奥にあった神宮寺の跡地へ。
ここには「いいなり地蔵」があり、誰の願いもほいほいと叶えてくれるらしいですが、それよりも注目したいのは石柱。
秋宮の拝殿のそばにあるものと同じデザインなのだとか。もとはペアだった?
雰囲気のいい石畳の道。
沖縄のグスク(城)を思い起こさせる石垣がとても印象的です。
こんな素敵な道を抜けると、武居恵比須社が。
地元の人と歩かなければ、ぜったい来ませんね、こういう場所。いい雰囲気だなー。
武居恵比須社。拝殿の奥の社は四本の御柱によって守られています。
この四本の柱は、諏訪信仰の象徴。
諏訪大社の四社はもちろん、先ほどの青塚古墳の社など、この地域の諏訪信仰と関わりがある社の多くにこの御柱が立てられています。
武居祝神の前で、この地の慣わしを説明してくれる石埜さん。
このアースダイバーツアーの手書き地図は「武居の里」というタイトル。
この“武居”という姓に下諏訪のロマンが秘められていることがよくわかりました。
何度も言いますが、かなりマニアックな話になるので、ここでは詳しく書きません(本当は書きたい!笑)
ぐるっと下諏訪の一角を歩きまわり、再び秋宮へ。
町そのものが歴史や文化を大切にしていて、そこに暮らす人が様々なカタチでそれを記録し残しています。
手書き地図も、その手段のひとつ。
自分のメガネを通して見える町の魅力を、自分が好きなように書きあげて、それを外から来た人に楽しんでもらう。
今回はまさにぼくら手書き地図推進委員会が楽しませてもらったわけですが、
こうした「町の人が勝手に作った手書き地図で巡るツアー」が日本のあちこちでもっともっと盛んになると、
俄然日本が楽しくなってくると思います。
降旗さんが言っていた“偏り”が作る、地域の面白さ。
公平性や網羅性が重視される公的なガイドブックでは許されない“贔屓心”に、
手書き地図を作る際の大きなヒントがあるのだと思います。
(研究員 大内 征)