活動レポート

30年前の記憶を巡る!山形県遊佐町ワークショップ~家の作り篇~

2017年11月02日

◎昭和30年代の街並みを再現する手書き地図ワークショップ

手書き地図推進委員会始まって以来の「今」ではなく「過去」の記憶を辿りながら手書き地図を作るという相談をいただいたのが2017年の桜が咲く頃。

過去の記憶を辿りながら手書きが作れるのか?、

参加者の平均年齢は70歳くらいだけどWSは成立するのか??
(おそらくWS開催史上最高平均年齢の予感!)

そもそもネタが出てくるのか???

などなどハードル高めな話から始まりました遊佐町のワークショップですが、開催してみたらその情熱いっぱい、山形弁いっぱいのワークショップでいつも通り超盛り上がるのでした。

ちなみに、開催場所の山形県の遊佐町。なんと、委員会のサポートをしてくれている佐藤遥ちゃんの出身地という偶然!

 ◎チームに分かれて思い出マップを作る

今回山形県遊佐町にある十日町という場所。鳥海山山頂には大物忌神を祀った神社があり、宿場町として栄えたエリア。今回は昭和30年代の街並みを「家の造り」「屋号」「職業」「歳の市」の4つのテーマに分けて手書き地図作りをします。

 ◎記憶の旅

家の造りチーム。昭和30年代は、この遊佐十日町にはユニークな特徴のある家のパターンが存在したようです。

<お家&お店の構造>

お家の造りは、当時のこの町の住人の職業に密接に関係してます。農家さんをはじめとして、お父さんは左官屋さん、お母さんは理容室といったような形で様々な職業が十日町通りに所狭しと軒を連ねていました。特に商売を営む家庭では、お家にお店がジョイントしたような構造になっています。逆に農家さんなどはお店部分の構造が無い造りになっています。

実際にフィールドワークで街に出てみると確かにお店ジョイント型がいまでも街並みに多く残っていました!

奥の赤い屋根部分が居住スペースで前側でお店を営んでいた。

これは左側が住居スペースで右側がお店スペース。

いまでも駄菓子屋さんを営んでいる屋号「ゆぎちゃえ」(※屋号解説は屋号篇で!)このように奥は居住スペースになっていて道路に面したところではお店を営む方が多かったそうだ。

<小梁>

雪の重みに耐えられるような「小梁」と呼ばれる構造。いわゆる「あみだくじ」のように梁がしっかりした構造が特徴であり、当時とても人気だったとのこと。十日町通りにはまだいくつか当時の面影を残す建物が現存しています。

超絶小梁!このあたりの魅せ方は当時の職人さんたちの美的感覚かもしれません。

小梁&Window

小梁の中に窓を作ったような構造。構造的には大丈夫なようです。これも当時の遊佐町ではオシャレな建築物の代表選手だったのかもしれませんね。

<出窓>

出窓構造も昭和30年代当時の建物の特徴の1つ。窓横と下の飾りが職人さんの腕の魅せドコロだったに違いません。

こちらも板壁と出窓の雰囲気ある造りになっていました。当時の「粋」な造りだった空気が現在も漂っています。

 ◎マップメイク

当時の面影を残す建物がいくつか街中に残っているのを確認しながら街並みを手書きに再現していきます!

手書き地図推進委員会のエバンジェリストである小川さんも遊佐町の先輩たちの山形弁に圧倒されながら地図を作りました^^

で、こちらが完成した「家の造り篇」手書き地図です。現存する建物をピンクで囲みつつ、当時の記憶を辿りながら、どんな家があったのかを並べてみました!

 ◎蘇った当時の家の造りから感じた「職業観の柔軟性」

家の造りが住まう人たちの職業に大きく左右されたこと。雪の重みなどに耐えるための構造にもかかわらず外観としてのデザイン性も成立させた小梁。出窓などの装飾に垣間見えた職人技の数々。昭和30年代の街の賑わいがビシビシと伝わる手書き地図になりました。そして、商人、職人、農家など自由で柔軟な職業のチョイスは現代のこれから働き始める若い人たちに対して職業観的なヒントがたくさんある気もします。

この面白い当時の街の様子を当時の人たちの頭の中にしまい込んで置くのではなく、手書き地図という見える形にしたことで、若い世代の人たちへの何らかの「バトン」になるはず!

近々行われる地域のお祭りで掲出する予定とのこと。これがまた何かが始まる起爆剤になるといいな!

レポート:赤津直紀

投稿日:2017年11月02日

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